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2018
07.20

デニス・テン 死去

https://www.asahi.com/articles/ASL7M76KCL7MULZU01D.html

デニス・テンが命を落としました。2人組の強盗と口論となり、ナイフで刺されました。搬送された病院で蘇生措置が施されましたが、日本時間の19日午後8時半頃に亡くなりました。心より哀悼の意を捧げます。そして、このような事態となり、心を痛めていらっしゃるご遺族にお悔やみ申し上げます。

つい昨日までSNSを更新して、友人と楽しく過ごしていた1人の若者が、今この世に存在していないだなんて、実感がわきません。

デニス・テンの存在を知ったのは、2008-2009シーズンのジュニアグランプリシリーズでした。当時は今のように専用のYouTubeチャンネルはなく、プロトコルから演技内容を想像するのがほとんでした。テンくんは、たまたまストリーミング画質がガサガサのクールシュヴェル大会に出場していたので、運よく演技を観られて存在を認知しました。小さな体で3Aを降り、シャキシャキとキレのある動きを見せる姿に驚かされました。そして、タラソワ門下と知って納得もしました。この大会にはミハル、アモディオ、ナンソンも出場しており、みんな上手くて興奮した記憶があります。シーズン中にメキメキと力を伸ばし、世界選手権では8位入賞。新時代の到来を予感させました。

そんな将来を嘱望されたスケーターである一方で、世界ジュニア選手権のメダルには恵まれませんでした。連盟の命を受け、オリンピックシーズンには四大陸選手権→オリンピック→世界ジュニア選手権→世界選手権という無茶苦茶な日程で試合をし、疲弊していました。スロースターターで、グランプリシリーズの表彰台にも恵まれず、引退までにメダル獲れないんじゃないか?と思いもしましたが、2014年エリック杯で初めて表彰台に立てました。でもグランプリシリーズで最も思い出深いのは、2010年スケートアメリカで5回転倒した時です。体が壊れてしまうのではないかと思いました。

エヴァン・ライサチェクに「足が大きいから身長が伸びるよ」と言われたのは何だったのか、身長は伸びませんでした。

フランク・キャロルのチームに移り、ローリー・ニコルの振付けた作品を滑るようになる頃には、美しいスケーティングにさらに磨きがかかりました。パトリック・チャンや髙橋大輔とはまた一味違った、力の込め方、インテンシティーが絶妙な滑りでした。素早い上体の動き、アクロバティックな動きをしても体が全くブレません。ステファン・ランビエールの指導も受け、一層情熱的になり、演技の彩りが増しました。そんなローリー=ランビ時代の最高傑作が2012-2013シーズンの2つの"アーティスト"。SP・LPで合わせて1つの物語を紡ぐだなんて、「絶対に俺の演技両方見てくれ!」というメッセージではないですか。普通なら「そんな表現方法自己満足に過ぎない」という意見が出てもおかしくありません。それを黙らせてしまうだけの力があったんですよね。しかもそれを4回転を入れて完成させてしまうわけですから。Pさんへの大歓声渦巻くカナダ・ロンドンでの世界選手権での主役は、美しい演技を2つ揃えたテンくんでした。

2013-2014シーズンからは、徐々に怪我が増えていきます。グランプリシリーズに出場出来ず、オリンピック代表が揃って出場を回避した直前の四大陸選手権でも表彰台を逃しました。オリンピック本番ではSPは8位と、メダル圏内に入るまずまずのスタート。LPもまとめ上げましたが、上位選手の出せる点数を考えると厳しかった。かと思いきや、史上稀に見るミス連発のイベントとなり、順位を一気に上げてカザフスタン初のメダリストに輝きました。世界中がビックリです。

キャリアハイとなった2014-2015シーズン。2つの素晴らしいプログラムを用意しました。特に四大陸選手権で滑ったLPは、歴史に残る名演です。シルクロードがテーマという時点で、一般人には難解なはずですし、民族楽器が使われた楽曲は馴染みがありません。それにも拘わらず、シルクロードを旅する情景がリンクに再現されている。その圧倒的なパフォーマンス力に度肝を抜かれました。この演技は、僕がボケて記憶がなくなってしまうまで忘れないです。この時着用した深いブルーの衣装は、スケート衣装でトップ10に入ります。

なかなか思い描く演技が出来ない中、スポット的に調子が上がることがありました。それが2015年ゴールデンスピンと2017年ユニバーシアード。2015-2016シーズンはSP・LPで同じ"ミサ・タンゴ"を使用しました。陰があり、不可侵でアンタッチャブルな美しさを秘めたテンくんにしか許されない選択です。2016-2017シーズンのSPは、冗談のような編曲の"ヒップホップロミオとジュリエットとくるみ割り人形"。しかしながら、これを他の選手が滑っていたら大惨事になっていました。テンくんだから競技用のプログラムとして成立させられたのです。このシーズンは怪我もありキャリアワーストの成績で、ユニバーシアードでも完全復活ではありませんでした。それでも開催地は出身地のアルマトイ。普段、フィギュアスケートを観る機会のない観客の前でいいものを見せたい。そんなテンくんの意地とプライドが垣間見えました。

3度目のオリンピックシーズンも足の怪我に苦しめられることになりました。前大会の銅メダリストとして臨んだピョンチャンオリンピックでは27位でSP落ち。さらには世界選手権を欠場。先走ったメディアから「引退」と言われてしまうこともありましたが、そのような発言は一言もしていませんでした。2018-2019シーズンもテンくんの滑りを楽しみにしていました。

ロシアとアメリカとヨーロッパのいいとこ取り。幅広いジャンルの音楽を捉える感性とリズム感。ショーを主宰し、カザフスタンのみんなにもスケートを観てもらおうという心意気。インタビューを読んでいても分かる知性。気品と情熱と持ち合わせ、あらゆる方面に才能を見せる、人として素晴らしいスケーターでした。世界中のスケーター、スケート関係者、メディア、連盟、多くのファンからその死を悼む声が寄せられいることからも、彼がどれだけ愛されていたかが分かります。

今は、犯人が逮捕され、ご遺族が平穏な日々を取り戻せることを祈っています。フィギュアスケートへの多大なる貢献、素晴らしい演技をありがとうございました。テンくんが大好きです。安らかにお眠りください。
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