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2018
12.20

ケビン・レイノルズ 引退

https://skatecanada.ca/2018/12/olympic-silver-medallist-kevin-reynolds-retires-from-competitive-skating/

ケビン・レイノルズが引退を発表しました。日本の日付が変わると、スケートカナダから嬉しくないお知らせがリリースされるのです。

「SPの新しいパーソナルベストをマークした心強いシーズンのスタートだったにも拘わらず、僕は調子を維持できず、僕の体はもう十分だよと問いかけるようになりました。厳しい決断でしたが、この状況を考えれば正しい選択なのだと思います。

僕の長く、素晴らしく価値のある競技生活をいたるところでサポートしてくれたスケートカナダには感謝しています。そして、自分自身を疑ってしまうような状況でさえも、いつも僕をサポートし、信じてくださったたくさんのカナダと日本のファンにもお礼を言いたいです。最後に、この途方もない旅のあらゆる場面を共にしてくれた、恩師ジョアン・マクラウドに特別な感謝を述べたいです。

僕は人生の次の段階に移り、新しいキャリアの機会を追求するのと同じくして、スケートというスポーツに関わっていくことを楽しみにしています。」

昨シーズンで引退予定でしたが、もう1シーズンがんばって、思い出作りではなく自分のベストの演技をするという彼の目標が達成されることはありませんでした。しかしながら、シーズン序盤から4回転ジャンプがほとんど回転不足で思ったような演技ができず、暗い表情で大会を終えることが多かった。それを考えると、彼の言う通り、現時点での決断は正しいことなのだと思います。2019年にはブリティッシュコロンビア大学の学位を取得し、人生の新たなチャプターをスタートさせます。フルタイムのコーチとしてスケートには関わり続けていくそうなので、リンクサイドから元気な姿を届けてほしいです。

ジュニア時代はくるくるの髪が特徴の4回転ボーイという印象でした。シニアに上がって髪形を変えても4回転というイメージは変わりませんでした。それぐらいジャンプ偏重の選手でした。いくらなんでも・・・というぐらいに滑らずジャンプ偏重でした。タラソワ振付のプログラムを滑ってもジャンプジャンプでした。ジャンプを決めても決めてもカナダ選手権でのPCSが伸びず、地元のバンクーバー開催の代表を逃しました。

風向きが大きく変わったのは、2010-2011シーズンからのSP2クワド解禁。スケートカナダで史上初のSP2クワドを成功させて一躍名を馳せました。2011-2012シーズンにはカナダ選手権で銀メダルを手にし、繰り上げではなく実力で世界選手権代表の座を勝ち取りました。国別対抗戦でLP"クロノトリガー"を滑って、お茶の間をザワつかせたこともありました。キャリアハイとなった2012-2013シーズンには、ミヤケン振付"ケベックの協奏曲"を日本の観客の前で華麗に演じ、四大陸選手権初優勝。カナダ開催の世界選手権5位入賞を果たし、世界のトップレベルまで駆け上がりました。

2度目のオリンピックシーズンは靴の問題で幸先の悪いスタートでしたが、カナダ選手権で2位となり悲願のオリンピック代表の座に。ソチオリンピック団体戦では、ロシアのスタープルシェンコをもう少しのところで打ち負かすという大活躍で、カナダの銀メダルに大きく貢献しました。あの時はリンクに神が降臨したかのように輝いていました。選手村では、日本の撮影隊と荒川静香さんに遭遇し、テレビから目を離していると日本人と会話していると間違えるぐらいナチュラルに「味噌汁」と言っていました。ミソシルではなく味噌汁。四大陸選手権でちちんぷいぷいに捕まったり、成田でYouは何しに日本へ?に捕まったり、何かとメディアに捕まりがちです。

その後怪我もあり、試合に出場できず、世界ランキングも下がり、グランプリシリーズに出場できない時期が続きました。2016-2017シーズンにグランプリシリーズに復帰し、スケートカナダで初の表彰台。カナダ選手権は完璧とはいきませんでしたが、LP4クワド構成で2位に食い込みました。4回転に加え、彼独自の表現やフットワークを身に付け、エッジが描くカーブも深くなってきました。この頃になると、カナダ選手権でも露骨な低PCSを付けられることはなくなりました。これは彼の努力の賜物です。

3度目のオリンピック代表選考は、パトリック・チャンの代表が事実上決定しており、1枠を争う展開でした。躍進を支えたSP"モーニン"に戻し2位スタートを切りましたが、LPでは及ばず5位で大会を終えました。キャリア最後の大会となった四大陸選手権のLPでは、SPの出遅れを取り戻す猛烈チャージでほぼ完璧な滑り。リンクサイドのジョアンは涙し、彼と抱擁し「You're my hero」と声をかけました。一スケートファンとして、思い出深い瞬間のひとつです。そして彼は競技の場にさよならを告げたのです。

と思いきや、2018-2019シーズンも現役続行宣言をしました。SPもLP(途中で戻したけれど、2011-2012シーズンのクロノトリガーも日本のゲーム曲)も日本のゲーム曲を使うこと発表しました。どれだけの日本のスケートファンが喜んだことか。残念ながら彼の望んでいたであろう結果を残すことはできなかったですが、その男前な姿勢が嬉しかったですし、生き様見せてもらいました。

わざわざカナダ連盟の引退声明でも日本のファンに対して感謝の意を示しているぐらい、日本人に愛された選手です。癖のない日本語を話して、ゲーム大好きで、ポケモンセンター行くところから分かる通り、リップサービスでの「ニッポンアイシテマス」ではない日本ガチ勢スケーターでした。数々の思い出をありがとうございました。

この1年でPさん、レイノルズ、フィルス、バルデのベテランカルテットが引退。カナダも変わっていくのだなあ。
2018
11.29

ハビエル・フェルナンデス ヨーロッパ選手権後に引退

https://www.olympicchannel.com/en/stories/features/detail/figure-skater-javier-fernandez-on-coaching-future-spanish-ham-and-mentor-brian-o/?utm_source=Twitter&utm_medium=tw-post&utm_campaign=social-owned&utm_content=news_news_ferndandez_retiring&sf203140368=1

ハビエル・フェルナンデスが、2019年ヨーロッパ選手権で引退することを明言しました。ふわっ・・・と夏に引退を匂わせるような報道が出ていましたが、ついにですね。Rvolution on Iceというショーの開催を控えておりまして、将来的には日本でも開催したいと発言していました。これからもショースケーターとして活躍し続けてくれるはずです。

ヨーロッパ選手権で優勝すると7連覇。すでに6連覇で、男子シングルの戦後史上最多連勝記録を樹立していますが、その記録を更新することになります。優勝してもエモいし、他の選手がなんですくんに勝って世代交代を告げてもエモい。エモ&エモ。エキシビションを、露骨ななんですくんグッバイ構成にしても許されるだけの実績があります。スッキリと出し尽くしてもらいたいです。

こうやって事前に引退を発表してくれると心の準備が出きてありがたいです。ファンにとってはありがたい引退の仕方ランキング!
1.事前に引退時期を告知
2.インタビューで匂わせる
3.演技を終えて「ああ・・・これで最後か」みたいな顔をする
4.Time to say goodbyeを使う
5.連盟のリリース・記事・SNSでの発表
6.エキシビションで「僕事ですが・・・」と涙ながらに発表する
7.サイレント引退

思い出に浸る長ったらしいのは1月に書くことにします。
2018
11.22

アダム・リッポン 引退

https://www.cbsnews.com/news/note-to-self-adam-rippon/

アダム・リッポンが現役引退を表明しました。すでに「もう競技に出場することはないだろう」との発言をしていましたが、この度正式発表となりました。

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やあ、アダム。

僕は未来からやってきたアダムだよ。

君は苦しい時期にいるね。君はオリンピック代表の座を2大会連続で逃してしまった。困惑して、大失敗した気持ちになっているよね。今すぐには分からないだろうけど、それは人生の中で最も大事な瞬間の一つになるはずだから。

自分自身のことを誇りに思うべきだよ。

13歳になった頃のことを覚えてる?毎週月曜日の朝、グレイハウンドの長距離バスに乗って、スクラントンからフィラデルフィアに通って練習していたよね。別のたくさんの家族と一緒にいると、誰もいない家に帰るような気持ちになっちゃったよね。それはとても怖くて、家族を恋しいと思わせたけど、君のお母さんは「あなたが大好きなものをやらなければならないなら、それは犠牲でも何でもない」と言ってくれたよね。君には住む場所がなかったから、コーチの家の地下室に何カ月も住んでいたね。そこまで昔ではない時期にも、食料を買うかリンクの使用料を払うかの選択を迫られるほどお金がない時があったよね。

君はよく頑張っていたし、何より自分に厳しかった。でも聞いて、これは大事なことだよ。立ち上がって、鏡に向かって歩いて、真っ直ぐに自分のことを見つめて言い聞かせてみて。君は勝者だ。君はまだ自分を省みることをしていないけれど、毎日これをやるようになれば、勝者であることは何かを学べるようになる。勝者であることは心がけ次第なんだよ。

君は何年か前に友達に家族にカミングアウトして、背中に翼が生えたかのように自由な気持ちになったよね。ペンシルベニアで生活していた頃、ゲイであることは誰にも口外することではないと考えていたときのことを覚えてる?次の年、公にカミングアウトすると、君のように考えていた他の人たちを突き動かすことになるよ。君は、自分が成長していないと感じた人たちに、ありのままの自分自身になるための許可を与えよう、と思うようになる。君は彼らに"あなたは価値のある人間だよ"と言うだろうね。

そうだ、君が眉毛にワックスを付けるようになったことの話をしなきゃ、あれがどれだけイケてたことか。あれはヒットだったね。

その後何年かで、君は人生でも最高の状態に入る。精神的にも肉体的にもコントロールされていると感じるようになる。君はもうティーンエイジャーではなく、他のスケーターのように細く軽くなろうとしないことを受けて入れているよ。君は自分を変える替わりに、理想的な自分を作り上げることに励んだんだ。

君は26歳の時に全米チャンピオンになって、オリンピックへの道がこれまでよりもクリアに見えるようになる。でも、ピョンチャンオリンピック代表選考会のちょうど1年前、君は足を骨折してしまう。君は今までの努力が泡となってしまうのを恐れることになる。でも、落ち込まないで。君は強くて、勇敢で、何だってできるんだから。

アダム、オリンピック代表に選ばれて、オリンピックのリンクに立つことができるのは、君が生涯をかけて待ちわびていたことだよ。それはクレイジーで、狂ったように楽しくて、エモーショナルでとてもエキサイティング。世界は君の人となりを目の当たりにして、ありのままの君を受け入れてくれるよ。

君は今大人の男だ。君は自信に挑戦し、リスクを冒してきた。君は、彼らがそうしてくれるように、周囲の人々を笑顔にして、手助けをしてきた。君は君がまだ子供の頃に夢見ていたロールモデルになったんだ。君は鏡を見つめて、あなたのことを振り返る勝者を目にすることになるだろう。

外に飛び出して、世界を制するんだ!
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リッポン自身が、2014年全米選手権が終わった後のリッポンに向けて送った手紙の適当訳です。適当なので注意してください。

29歳となったリッポンにも引退の時がやってきました。

2008年当時、ジュニアの大会の演技を観られる機会はほとんどなく、絶世の美少年が世界ジュニア選手権を制したことに衝撃を受けました。2007-2008シーズンまで、ジュニア男子SPの規定要素では、アクセルジャンプはダブルと定められていました。それでもコンビネーションで3Aを使用する選手がいるほど、3Aは当たり前のエレメンツとなっていました。そんな中、3Aを1本も跳ばずに完成度の高さで勝負するリッポンが大会を制した。2008年世界選手権は4回転ジャンプのないジェフリー・バトルがチャンピオンになったこともあり、完成度VS高難度ジャンプの議論が活性化しました。安藤美姫、髙橋大輔とコーチが同じだったため、日本人からも自然に注目されるようになりました。

次のシーズンからシニアに移ったリッポンは、ストレートパーマをかけず、地毛のカーリーヘアーで試合に出場。二次元から飛び出したようなルックスにザワついていました。全く組み込んでいなかった3AをSPにもLPにも入れ、世界ジュニア選手権も連覇していきました。この勢いのままオリンピックの座を勝ち取ることも考えられましたが、2010年当時のアメリカはエヴァン・ライサチェク、ジョニー・ウィアー、ジェレミー・アボットのトリプルエース時代。バンクーバー代表を逃し、世界選手権に繰り上げで初出場。アメリカの3枠をきっちりキープしていきました。

しかしながら、モロゾフからオーサー、佐藤有香さんへといろいろとコーチを変更しても3Aの安定感が出ず、両手を上げたトレードマークのリッポンルッツさえ武器にならないほど、ミスを連発していました。2010年ジャパンオープンや2013年スケートアメリカなど局所的にいい演技をすることはありましたし、2013-2014シーズンのLP"牧神の午後への前奏曲"は神々しいほどの美しさでした。それでも結果には結び付かなかった。正直な感想を言うと、ソチオリンピックまでの4年間のプログラムのほとんどが、アメリカで戦えるだけの個性と魅力を持ったものではなかったです。

風向きが大きく変わったのが2014-2015シーズン。全米選手権LPでは、冒頭の4Lzこそ回転不足になるも、全てのジャンプを着氷し、SP5位から逆転の銀メダル。演技が終わった瞬間の絶叫は今でも脳裏に焼き付いています。翌2015-2016シーズンからは、フリーレッグを上げ体を傾け軸が歪みまくる3Aを修正し、成功率が劇的に改善しました。このシーズンの最初にカミングアウトをして、演技面でも衣装でも振りきって、一気に派手派手しくなりました。佐伯チズのような紫の髪色になったこともありました。初めて全米選手権を制し、母国開催での世界選手権でも大活躍でした。この大会でアメリカ男子は3枠を逃すことになるのですが、この時の代表3名はいずれも素晴らしい滑りだったので「これで取れねえなら、しゃーない」ともなっていた記憶があります。

2016-2017シーズンも絶好調。急遽演目を変更し、前シーズンのエキシビションに手を加えたLP"O"の素晴らしさに心臓を打ち抜かれました。スケートアメリカの演技を観た時、鳥肌が立ちましたし、このような芸術作品が存在する時代に生きていられることを幸運とさえ思いました。フランス杯のLPは誕生日の翌日で、27歳+1日で4回転ジャンプに初成功。さらにはグランプリファイナル初出場と、キャリアハイのシーズンとなりました。が、全米選手権の練習中にまさかの骨折で棄権。失意のままシーズンを終えることになりました。

3度目のオリンピックを迎える2017-2018シーズンは、好調だった前シーズンの2つのプログラムを使いました。前年を上回る好調っぷりで、グランプリファイナルへも2年連続で出場しました。そしてNHK杯のエキシビションでは、演技をせずに熱唱をするという伝説も作りました。全米選手権は2位スタートで、安定感を考えれば代表はほぼ間違いない。安心しきったその時、3Sがシングルに、さらに3Lzもシングルに。一気に10点を失い暫定3位。後ろにはジェイソン・ブラウンとネイサン・チェンが控えていたため、トップ3は絶望的状況でした。後々、靴の故障があったことが判明しますが、心臓が止まりそうでした。最終順位は4位で、3位のヴィンセント・ジョウとどちらが代表になるかに注目が集まりました。ところがどっこい、代表落ちは2位のロス・マイナー。ざわついた末に初のオリンピック代表に内定しました。

アメリカにはゲイのスケーターが数多くいますが、オリンピック出場時にカミングアウトをしていたのはリッポンだけ。そのことも相まって、SNSのフォロワー数が全米選手権から僅か1ヶ月で数倍に膨らみました。2年以上も前にカミングアウトをしていたのに、今更注目されるなんて・・・と、オリンピックの影響力の強大さを知ることになりました。オリンピックでは、同じくゲイをカミングアウトしているスノーボーダーのガス・ケンワージーとセットでインタビューを受ける姿もよく目にしました。団体戦では銅メダル、個人戦では10位。新調した美しい衣装と共に、世界に向けてリッポンの美しさを見せ付けました。

オリンピック後には、たくさんのテレビ番組に出演し、ダンシングウィズザスターでは優勝。さらにはダンシングウィズザスターの姉妹番組の審査員に選ばれました。タイム誌の"世界で最も影響力のある100人"には、世界の誰しもが名前を知る著名人と共に選出されましたし、ハンサムな恋人ができ、各種イベントにも呼ばれるようになり、公私ともに充実しています。政権に批判的なアメリカメディアとも相性がよく、これからはスケーターとしてだけではなく、アクティビストとしても活躍していくのではないかと思います。また1人、ジュニア時代から見守ってきたスケーターがリンクを去ります。同世代なので、「もう一生会うことはないんだろうな」と思いながら、卒業式で同級生の後ろ姿に手を振る気分です。たまには日本に来て、スケートリンクで熱唱してください。あれ大爆笑しました。これからの人生が、一層美しく光に満ちたものになりますように。
2018
10.21

アンジェリーク・アバチキナ 引退

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Unfortunately i have to say that I’m stopping my career as figure skater.... I had a great opportunity to skate with Pavel Drozd and develop myself as an athlete and go further in my career but unfortunately the federations couldn’t agree and couldn’t give me freedom to follow my dream. So I have decided to continue my studies rather than skate for pleasure without accomplishing any goals at the end. I want to thank everybody for the support that was given, for the messages sent before and after competitions ❤️ Malheureusement je dois vous annoncer que je suis forcée d’arrêter ma carrière sportive. J’ai eu une belle opportunité de continuer en patinant avec Pavel Drozd mais malheureusement les pays ne peuvent pas se mettre d’accord entre eux pour m’aider à accomplir mon rêve. J’ai donc décidé de poursuivre mes études plus tôt que de patiner juste pour le plaisir sans accomplir quoi que se soit. Je veux remercier tous ceux qui m’ont soutenu et envoyé des messages avant ou après les compétitions 🙏🏼☺️ К сожалению я должна сообщить о том что я прекращаю свою спортивную карьеру. Пробные замечательные тренировки в Москве с Павлом Дроздом показали мне мой реальный потенциал и возможности достойно кататься в будущем. К сожалению федерации не смогли договориться . Сегодня моя федерация не может мне никого предложить в качестве партнёра , способного хорошо кататься, а кататься лишь бы учавствовать в Соревнованиях я не хочу . Я благодарю всех своих болельщиков за поддержку и участие .

Angelique Abachkinaさん(@icesmurfette)がシェアした投稿 -

「残念なことに、フィギュアスケーターとしてのキャリアをストップするお知らせをしなくてはなりません。私はパヴェル・ドローストと滑る素晴らしい機会を得て、アスリートとして成長し、キャリアのもっと先に進む予定でした。しかし、残念ながら連盟(フランス氷上競技連盟とロシアフィギュアスケート協会)は、同意せず、私が夢を追う自由を許してくれませんでした。

だから私は、最終的な目標もなくただの喜びのためにスケートをするよりも、自分の勉強を続けることを決めました。大会の前後にメッセージをくださり、応援してくださったみなさんにお礼を言いたいです。」

アンジェリーク・アバチキナ引退発表です。これほど悲しい引退発表があるでしょうか。アバチキナはつい1週間前に、2年間拒食症と過食症に悩まされ、それを克服したことをインスタグラムで発表したばかりでした。ロシアからフランスに渡り世界で戦い、ロシアに戻ってから、パヴェル・ドローストという素晴らしいパートナーに巡り合えました。これからという時だったのに、2つの連盟がどちらもリリースしないという最悪の結果でキャリアを終えることになってしまいました。

ルイ・トーロンとのカップルでジュニア時代から素晴らしい演技を見せてくれました。小さくてかわいらしかったアバチキナたんが、大人の女性に成長し、フランスのオリンピック代表争いをするまでに成長しました。あと一歩、ほんの少しのところで代表を逃すことにはなりましたが、長身のドローストと組んで、明るい未来が見えてくるはずでした。才能ある若いスケーター、そして未来のアイスダンス界のメダル候補が大人たちに叩き潰されたのです。

このインスタグラムの投稿からは、それに対する怒りが溢れています。僕は100%アバチキナの味方です。フランス氷上競技連盟とロシアフィギュアスケート協会の横暴を絶対に許さない。

彼女のこれからの人生が幸せに満ち溢れるものになることを願わずにはいられません。
2018
10.20

立野在 引退

アイスダンス日本代表立野在が引退、そして深瀬理香子とのパートナーシップ解消を発表しました。

以下文字起こし

みなさんこんにちは立野在です。お久しぶりです。

何で僕がインスタグラム、その他SNSを休止していたのかを説明しようと思います。

立野在深瀬理香子さんはパートナーシップを解消しました。みなさんに公開できるまで、自分の心を整理して、区切りをつけられるまで休止していました。

解散理由を申し上げますと、僕の肩の怪我というのが理由です。肩の怪我で、いつ競技復帰できるかの目処が立っていないんです。その状態だと、理香をずっと待たせることになるし、競技復帰できる確証もなかったので、解散を申し出ました。

解散にあたって、この度立野在は競技からの引退を決断しました。この引退の理由も肩(の怪我)です。

時系列を追って肩の怪我について説明します。まず去年の5月、振付中に事故をして、肩が何度か外れていました。医者に行ったところ、関節唇損傷で手術が必要だと言われました。おすすめはしないけど、リハビリをして競技を続けることもできなくはないと言われました。先シーズンはシニア1年目ということもあり、大事なシーズンになると思ったので、怪我と付き合いながら、痛み止めを飲み、だましだましでシーズンを通しました。

2月に日本で手術を受け、半年間リバビリをして、8月2日にモントリオールに戻りました。その時には競技復帰していいよとの話だったので、氷に乗って滑っていたんです。カナダに戻って練習初日に、氷に乗って1時間経ったころ、組んで滑っていたところ、足元がぐちゃぐちゃとして僕が転んで肩が外れてしまいました。

後日、カナダの医者に行ってレントゲンとMRIを撮りまして、診断を受けたところ、今度は関節唇剥離していました。だから今、僕は組織がなくて(肩が)外れやすい状況でした。治すには手術が必要ですが、競技をすることができるかもしれないという状態でした。だから、リハビリを6週間おこなうスケジュールを立てていました。そして中日の3週間目、リハビリ中に肩が外れてしまいました。そこで心がポッキリ折れちゃいました。元々関節が緩い体質だったので外れやすかったのかなと思うんです。リハビリの中日で外れちゃった時に、これは手術だと思い、そこで理香にも「ちょっと無理そうだ」と解散の話をしました。

そこから残りの3週間は日常生活に復帰するためのリバビリをずっとしていました。今、日本に戻ってきているんですけど、先日僕の肩の手術をしてくれた先生に診察をしていただいて、治すのであれば手術しかないということでした。僕はその手術を受けたくないんですよ。なぜかというと、前回受けた手術よりも大きな手術になって、ある程度、肩の稼働域を犠牲にしないといけないんです。競技にも支障が出ますし、もちろん日常生活にも支障が出てしまいます。どちらかというと、そちらの方が耐えられないと思ったので、今回、引退という決断をしました。

理香はまだ(競技を)続けると思います。今後も応援してあげてください!

まずは本当に深瀬立野組を今まで応援してくださった方々には、本当に申し訳ないです。それと同時に今までありがとうございました。今後僕はスケートに何かしら関われたらいいと思うんですけど、まだ学生なので勉強して、その後いろいろと考えてはいます。

なぜインスタライブ・映像という形にしたかというと、あまり文字だけというのが好きではなくて、文字だと誤解されることが多少あると思います。だから、自分の言葉で伝えた方がいいんじゃないのかな?と思い、インスタライブにしました。

また機会があればお会いしましょう。

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2週間ほど前にインスタグラムに思わせぶりな投稿をした際に、なんとなく察していました。りかあるの解散、そして立野アルバートの引退を本当に残念に思います。しかしながら、本人からの言葉にあるように、肩の怪我という理由がある以上仕方がありません。アイスダンスに情熱を燃やすアルバートは頼もしかった。理香子ちゃんに新しいパートナーが見つかり、また元気な姿を見せてくれればと思います。お疲れさまでした。フィギュアスケートTVでスーさんが悲しむでしょうね。

本人の言葉にあるように文字だけだと、100%正しい意味は伝わらないと思うので、ぜひインスタライブの録画をチェックしてみてください。24時間以内なら大丈夫なので、明日の14時ぐらいまでには観ておいてください。また、インスタグラムには「時間的に見れないという方にも見ていただきたいと思っているので、アーカイブを残すなり、後日編集した動画を投稿するなり何かしらします。」との本人からのコメントがあるので、後日別の形でチェックできると思います。

https://www.instagram.com/arutateno/
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